滝打ち2日目。
タイトルの通りなんですけど、
「同じ人間同士、伝えればきっと伝わるはず」って思っている時点で、
「間違っている」んだろうなぁと。
Missingの、とある下りを読んで、確信したことなんですけどね。
というか、そもそも「人間」って何ですか?って話があるんじゃないかと。
生物学的な「ヒト」(この辺、全く知りませんけどね)だったり、
法律上の「人」(これも知らない)っていう定義だったり、
他にも色々あると思うんですけどね。
自分は、人間の一つの要素として「他人を思いやる情がある」というのが、あると思います。
あと、「考えることが出来る」というのも。
でも、現実を見ると、
「他人の話も聞かずに、何も考えずに、他人も思いやらずに、自分の欲望のままに生きている人」
や、
「他人の意見を何も考えずに鵜呑みにして、間違っていた時には、その他人が悪いという人」
や
「本人の現状を考えれば、そこは答えを教えない方が良いのに、答えを教えて情を集めようとしている人」
や、
「何かおかしな事を言っている人がいるけど、あの人が"狂人"なだけで、自分達は間違ってないと思う人」
とかが、いらっしゃるわけです。
まぁ、「罪の度合い」は、上記それぞれで、また具体的なケースによって違うのは勿論として。
で、最後の「狂人」の所について触れると。
「狂人」って言葉を使う人は、
自分が知らない理解出来ない事を言っている人に対して、「狂人」というレッテルを貼って、
「そんな事は知る必要がない」って、「安心」したいだけなんじゃないですかね。
でも、自分は、以下の言葉の通りだと思いますけどねぇ。
いい言葉だ
↓
「知らないことについては、その必要性すらわからない」
知らないし、理解出来ないから「狂人」と見なすんじゃなくて、
学んで理解していこうとは、思わないもんなんですかね。
と思う一方で、同じ人間とはいえ「今見ている世界も、生きてきた環境も、何もかも違う」ので、
「そんな事を知るつもりはない」っていう考えも、自分は「正気」だと思います。
こう言うと、例えば昨今話題の九州の某市長について、
「あんな事を許せるわけがない、そこに住んでいる市民が可愛そうじゃないか」
という話が出てきそうですけど、いやそりゃあ可愛そうだとは思いますよ。
で、一人でも多くの人に伝えようとする行動も悪いとは思いませんよ。
でも、それに「ひたすら執着する」のも、時間は有限な中、勿体無いとは思いませんか。
「バカの壁」の通り、「言ってわかるとは"限らない"」ので、
時間配分の問題だとは思いますけど、
「もっと、自分の人生にとって、有益な事に時間を使った方が良い」
んじゃないかなぁと、思いますけどね。
というのもですよ。
「分かる」とか「知ってる」とか「出来る」とかってステータスが有る時点で、
「分からない」とか「知らない」とか「出来ない」ってステータスも有ると、暗に示唆してるんじゃないかと。
みんな同じなら、上記の様なステータスは出てこないんじゃないのと思うわけです。
「生」って概念があるから、「死」って概念があるっていうのも、同じ話ですね。
要するに、「対」になっているもの全部。
だから、「話が通じる人」っていうのと同時に、
「話が通じない人」っていうのも、いらっしゃるわけです。
で、それは、「どうにかなる」場合もあれば、「どうにもならない」場合だってあるわけです。
ですから自分は、自分が知らないが故に"狂人"に見える場合には、自分が学び、
「言っても多分分からないのだろうな」と感じた場合には、以下の様に思い生きていこうと思います。
人間の姿をした「魔物」だと。