奇特なブログ

「殊勝に値する行いや心掛け」を意味する、奇特な人になる為のブログです

人生観(どう生きてどう死ぬか)について考える

※内容的に、どうしても暗い内容も出てきますので、精神状態が良好な時に読む事を推奨します

このテーマについては、
仕事中の雑談で、「これからのキャリアについて」みたいな話が、
同年代の方との話題で出たのと、
そういえば、これ系の話は、これまでに書いた事も無いので、
ここで考えてみようかと思いまして。


目次:
1.死亡の種類
2.他人の死をどうやって認識するのかとその後
3.(ネタバレ注意)人生観について考えられる映画2作
4.(参考)僕自身の人生観


1.死亡の種類

まず、どんな死に方があるのかについて整理してみます。
ただ、死ぬといっても、殺害にしても未遂がありますので、
以下に、死亡の種類に加えて、
「死ぬ確率が上がる要因」も書き出してみました。

・自然死
・病死(病気の種類問わず)
・コロナ
・交通事故(車・バイク・自転車・鉄道・バス・フェリー・飛行機など)
・自殺(手段問わず)
地震
・水害
・火災(放火も含む)
熱中症
・凍死
・貧困
・過労
・鬱
・起訴(冤罪含む)
・犯罪(被害者)
・盗難
・殺害
・暴力
・虐待
・餓死
・失業
・食中毒
・餅による窒息事故
・誹謗中傷
・テロ
・スポーツ(主に格闘技)

10分ぐらい考えて思い付く限り書きましたが、
といっても、まず間違いなくまだまだあるでしょうし、
各項目も、まだまだ詳細化(特に病気と犯罪か?)出来るでしょうけどね。

あと、統計としての平均寿命は以下の通りですが、
といっても、あくまでも「平均」ですから、
「自分自身がどうかは分からない」わけですしね。

www.yomiuri.co.jp

っていうのと、でも上記の「死亡の種類」を見ますと、
「自分自身に、あまり依存していない死」も結構多いわけで、
そういう意味で、「いつ死ぬかは分からない」とは思いますね。
だって、毎日ニュースで「色々な死」が報道されてますけど、
それが、自分に当てはまるケースだって全然あるでしょうし。
「当事者と第三者の関係」とでも言うのか、
自分以外に上記の様な不幸な出来事が発生した時に、
自分にも起きるかも?と考えるのは大切かと思いますね。
反面教師とはちょっと違いますけど、せめてその出来事を通じて学ぶというか。

だから、この記事も「僕が死なないで無事公開されるか」も「分からない」ですし。
あと、この記事が公開されていても、僕は死んでいる可能性も一応あり得るかと。
ま、もしそうなっていたら、大したブログではないですが、
何がしか学べる材料があれば、僕としては嬉しいですね。


2.他人や自分の死をどうやって認識するのかとその後

これは、「死」をどの程度重くみているかというのを知るのに、
大切かと思いますね。

例えば僕自身の場合、
これは実話で、友人経由で知った話だったんですが、
どうやら、学生時代の同級生(まあまあ仲良しぐらいの人だが、学生時代以降は交流ゼロ)の中に、
20歳前後で交通事故で亡くなった人がいるんですよね。
でも、当時は勿論知らず、
それを聞いた時には驚きと同時に、勿論残念に思いましたが、
ただ今は時間も経過した事で、
「そういえば、亡くなっているから、もう会えないんだな」ぐらいの感情になっていると。
だから、軽く見てるって事はないですけど、
少なくとも「その人が死んだから、自分も死ぬ」みたいな重さでは捉えてはいないと。

あるいは、これは少し特殊ですけど、
例えば、ブログや、SNSの自分のフォロー・フォロワーさんで、
「最新投稿日が、かなり過去日になっている人」が、
結構見かけると思うんですけど、
これは、「ネット上における死(勿論、リアル死も合わせての可能性も)」だと思うんですよね。
で、それを見た時に、自分はどうするかというのも、
相手の死に対して、どのくらい重視しているかというのが分かるかなと。

で、重視の度合いで変わる要素として、
「他人の死を忘れる」
というのがあるだろうと。
特に、人間関係を「ドライ(あっさり)」に考えている人ほど、
その傾向が強くなる様に思いますね。
ただ、「忘れる」という行為は、
「辛かった事だが、その後のプラス要素によって、知らない間に忘れていた(あるいは、かなり薄れている)」というのも経験則としてあるので、
必ずしもマイナスではない(勿論、シチュエーションによってはマイナスですが)とは思いますけどね。

ただ、忘れるといっても、
勿論、関係性によっては忘れられない死というのもおそらくあって、
それを否定するものではないですが、
ただ、自分は、他人に対してどう考えているかと、
あと、自分と交流のある人々が、自分の事をどう考えているかは、
「他人や自分の死が起きた時の、その後の影響(引きずるのか否かとか)」を考える意味で、
大切じゃないかと思いますね。
その答えによって、これからどう生きるかも影響を受けると思うので。


3.(ネタバレ注意)人生観について考えられる映画2作

以前から知っていた映画で、
この記事を書くにあたって、見直したんですが、
「人生観 映画」で検索しても、
この2作は出てこなかったですね(苦笑)
よりマイナーと思われる「インタビュー~」の方でも、
名前は知っていた(そんなに映画オタでもない)んですけどね。
「内容が重すぎる」とか「暗すぎる」とかが原因ですかね。

ミリオンダラー・ベイビー

これは、どうも「鬱映画」として捉えられている事が結構あるみたいですね。
まあ、確かにハッピーエンドじゃないですしとは思いますが、
その分、リアリティはある(死ぬ時が明るいわけがない)んじゃないかなと。

で、色々なテーマが含まれている映画かと思いますが、
見直して、以下の感想を持ちましたね。

(1)貧民からコツコツとステップアップすることの辛さ
(2)でも、プロデビューが遅く、苦戦すると思われていたことの辛さ
(3)色々頑張ってみても、家族に理解されないこと(毒親問題)
(4)反則をきっかけに、半身不随になって転落が始まること(ルール違反したり、ズルする人もいるということ。「スポーツマンシップに則り、正々堂々と戦う事を誓います」の大切さ)
(5)ヒラリー・スワンク(最後に死ぬ主人公役)の人生は、常に最善を尽くす物語であった
(6)自殺とは、自己決定権の行使の一種(自分の人生の終わりも、自分で決める)
(7)自殺は基本的には後ろ向きだったりネガティブに捉えられると思うが、尊厳死にはそれが薄い

特に(5)を観て、とても必死に生きているヒラリーを見て、
「そんなに簡単に自殺なんて考えちゃいけないな」
って思いましたね。

感想は当然、人によって色々だとは思いますけど、
良い映画だとは思いますので、未鑑賞な人にはオススメします。

インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア

こっちは、ヴァンパイアですし、ちょっと特殊だとは思いますが、
キーワードとしては「不老不死」があるかと思いましたね。
「不老」であれば、ずっと格好良かったり綺麗なままでい続けられます。
「不死」であれば、死ぬ時の辛い思いとも無縁だし、相当先の未来も見続けられます。
っていうのを、この映画を見て憧れるか否かというのが、まず一つ。
ただ、映画でも描かれていますが、
「不老」というのは言い方変えれば「成長しない(年齢にもよるので、正確には"変化しない")」とも言えるでしょうし、
「不死」というのは「終わりが無い」ので、辛い場合はずっと辛いままとも言えるかと思いますね。

で、もう一つは、
その「不老不死」を実現する為には、「人を食う」必要があって、
そこでブラピさんが怒ってますが、そこまでして生き続けたいか?と。

個人的には、「変化しない」のもマンネリを感じて飽きる気がしましたし、
「終わりが無い」ということは、死ぬ時に「採点が出来ない(採点というか、"最高の人生だった"とかの総括が出来ない)」ので、
それが出来ずに、ただ生き続けるのもなぁって感じはしましたけどね。

こっちは、「ミリオンダラー~」以上に人によって感想が違う気がしますが、
テーマとして一種の思考実験が出来るとは思うので、
未鑑賞な人にはオススメします(ミリオンダラーの方は確か違いますが、こっちは僕もオススメされましたしね)。


4.(参考)僕自身の人生観

人生観に白黒付けるなんて相当に難し過ぎる(特殊なケースが沢山あるでしょうし)と思うので、
ここではそれはしませんが、
記事を書いて、自分はどう考えたかを最後に書きたいと思います。

まず、分かりやすい所だと、
僕の場合、自殺未遂を2回(2.5回か?)しているので、
その時に死んでいる可能性も全然あるんですよね。
で、自殺出来なかった理由としては、多分「家族」がブレーキになったと思いますね。
単純に「悲しむから」とかそういう理由。


あと、自分と交流のある人々が、自分の事をどう考えているかは、
「他人や自分の死が起きた時の、その後の影響(引きずるのか否かとか)」を考える意味で、
大切じゃないかと思いますね。

ただ今は、上記がまさに当てはまるんですが、
家族は、僕が死んでも多分そんなに悲しまない(ゼロって事は無さそうですが)ので、
そういう意味ではブレーキが無いので危険というのもあると思いますね。
他に、他人が自殺のブレーキになるケースは、
独身でもありますし、う~んそれほど無いようには思いますね。

なんですけど、ただまだやりたい事なんかは山程ありまして、
人生に関してのマンネリ感(これがとても苦手)は全然感じないんですよね。
といっても、それは「趣味」に関してが大きくて、
「本業」の方は結構マンネリ感を感じていたりはするんですけど(苦笑)
だから、趣味の方にもマンネリ感を感じる(といっても、結構先な気もしますが)と、
ちょっと危ないかもしれないですね。

あと、良くあるケースとして「欲しいものがあるが、中々手に入らなくて辛いので死にたい」というのがある気がしますが、
これは、むしろ「欲しいものがあるが、手に入らない状態があった方が良い(全く手に入らないのも辛いので、程度問題でしょうけど)」と思いますね。
というのも、2015年に「約8か月弱」鬱だった時期があって、よく覚えているんですが、
「自分はもう、全て手に入れたので、特に欲しいものはない」と思った時があったんですね。
でも、当然「そんなわけないだろう」と。
多分その時には、以下の様な状態だった様に思いますね。

・単純に視野が狭くなっていて、それで錯覚した
・頑張れないので、そう思う事にした

鬱状態ですから、こう思っても無理はないわけですが、
健康な精神状態なら「欲しいものがない」って状態なんて、
ほぼ絶対訪れない(僕の場合)様に思いますし、
もし訪れる事があったら・・・うん、それは自殺する時だと思いますね。
でも、これは上記のミリオンダラー~の方にも似た話ありますが、
ポジティブな自殺だと思いますね。

あと、今後について、まずあるのは、
「五感とかをフルに駆使して、出来る限りの出来る事をしたい」と思ってますね。
五感以外の以下の様な事も含めて。

・視覚(言うまでもない)
・聴覚(それまで全然意識してなかったですが、音楽がきっかけになってますね。最近は音楽以外の音や声にも敏感になっている印象)
・触覚(これは服の手触り感や着心地辺りですね)
・味覚(言うまでもなくグルメ。これがあるから歯も大事にしないと)
・嗅覚(これはつい最近気にし始めましたが、洗剤や服の香りですね。もしかしたら今後、香水系にハマるかも(笑))
・手を動かせる(これが無いと仕事が以下略。あと、この記事も書くのキツイですし)
・足を動かせる(動ける内に、色々な所に行っておきたいとは思いますね)
・喋れる(ネットだとテキストメインですが、伝達手段を増やした方が良いのかとは迷いますね)

当たり前ですが、
死ぬと、上記の事が出来なくなり、やりたい事が出来なくなるわけですが、
逆に、やりたい事を十分にやったと思えて、死ぬするのはとても憧れる生き方かなと。
「どういう形で死ねたら最高か?」がポイントですね。
で、ここは、「ミリオンダラー~」のヒラリーと似ていると思いますね。

あと、今後の事ですが「過去は変えられない」って点がポイントともなるとも思ってまして、
「この生まれ(田舎出身)で、この経歴(高卒で結構変な経歴で業界デビューも遅い)で、この立ち位置(フリーの事)だからこそ、出来ること」が、
きっとあって、それを探して実践する事も大切かと思いますね。
例えば、最近書けてないですが、
本業の「PHPのコーディングルールを考える」連載記事なんかは、
数多くの現場で見ているから出来る(1つや2つの現場では難しい)と思いますし。
あと単純に、「田舎出身で低学歴で業界デビュー遅くて、どこまで行けるの?」とかも、
ITは、高卒って時点でもまあまあ珍しいみたいですしね。
あと学歴に関して最近感じているのが「エリートの壁」みたいなものですね。
「受験勉強していた」かの差が、中年とかになってから困難な勉強をする際に、
如実に出たりとかするのかなとか。
なので、これをどうするかという。

あと、「最高の人生」ってどういうものだろうと考えたんですが、
「もう一回生まれる事が出来た時に、今と全く同じ人生を選ぶか?(生まれた国、地域、年代、性別、家族、経歴など)」で、
Yesだった時というのはあると思いますね。
といっても、Yesと答える人、そうはいないと思いますけど、理想論としては。
どこまでYesと答えられそうですかね。

あと、特に本業について今後の見通しがう~んと思う所はありますが、
ただ「自分の未来が意外と予想出来ない」というのもありますね。
最近だと、音楽・鉄道・ファッションにハマるとか「完全に予想外」ですし、
あと10年前にゲームをやった時にも、昔やっていたけどまたやるとは思わなかったですし。
フリーランスも、かれこれ10年になろうとしてますが、10年前には考えていなかったですしね。
ま、常に悪い話ばかりでもない(去年はまずまず良かったですし)ので、
ここは、あまり考えてもしょうがない気もしますね。
どっちかというと悲観的に考えるタイプと思われるので、そのバイアスがかかり過ぎているかは注意したいですね。

あと、これは「インタビュー・ウィズ~」の方の感想ですが、
「人を食っていきたいか?」の話で、
「椅子取りゲーム」の事を連想しましたね。
例えば、「パチンコで出ない台に座ったら、もう終わり」とか、
あるいは受験戦争とかの「定員が限られているもの」全般ですかね。
で、そういう定員があるので、
その椅子に座れなかった人にもチャンスを与える為に、
自分が良い現場にいる時に、その椅子を他人に譲ると。
なので、基本方針としては、
同じ現場にはずっとはいない(最長でも2年ぐらいか?)とは思いましたね。
理想としては、自分がその椅子に座ったまま、
他にも椅子がある事を伝えたり用意する事がベストなんでしょうけど。

で、この辺が人を食ってはいないですが、
自分が生きる為に良い椅子に座って、他人を殺(あるいは不幸に)しながら生きているんじゃないかと思いまして、
なので、それを少なくするにはどうすれば良いかと考えて思った(実践中だけど)話ですね。
少し話逸れますが、最近よく聞く「多様性」っていうのは、
文脈にも依る(結構バラバラに使われているので)と思いますが、椅子取りの「椅子を増やす」って話かと思うので、
これって「景気良くないと無理じゃない?」とは思いますね。
だから、景気と連動してない多様性の話は、ちょっと説得力に欠ける印象はしますね。

話を戻して、上記の様に書くとカッコいいオチかもしれませんが、
いや、単に定期的に遊んだり色々検証したりしたいだけです(笑)
だから、仕事しながら遊んだり検証出来るのが理想なんですけどね。

あと、定員制のものを譲るのは、
単純に性格として、以下の非属の才能にも少しある、
「行列に並ぶのが嫌い(大好きなとんかつ屋でも30分が限度かな)」というのもありますね。

honsuki.jp

あと、長くなりましたし、これが最後ですが、
「死ぬ覚悟」については、
今年の2~3月辺りに、
以下の様な事は思ってましたね。


殺したいなら殺せ
殺れるもんなら、殺ってみろ
もう、心残りもそんなに無いし。

結果としては、悪い方の展開に流れずに無難に終わりましたけどね。
悪い方の展開に流れたら?
う~ん、勿論死なない確率が圧倒的に高いですが、
相手によって、自分を殺す確率が「限りなく0%」と「限りなく100%」だったりするじゃないですか。
で、それが「展開によっては50%ぐらいある?」と思っただけですね。

というより、そのぐらい不穏な状況じゃなかったら、
以下の様なツイートしませんし(苦笑)

なので、今後も特に仕事に限らずですが、
勿論、積極的に死のうとは思ってないし、回避出来そうな事は当然するわけですが、
最初にも書いた様に、「思わぬ形で死ぬ人は人生に存在する(で、自分かもしれない)」ので、
そうなって死んでしまう覚悟の様なものはありますね。

結構変な生き方だと思いますし、
他の人には参考にすらならないのでは?という気もしますが、
もし、何がしか得られたのなら幸いです。

あと、この系統の記事は、
今回初めて書きましたが、
また、5年後ぐらいに改めて考えてみた方が良いかなとは思いましたね。