教育というと、どうしても「教える」と思ってしまう人が多いと思うのですが、
私は教えないというか、教え「られない」と思っています。
「自分とは何から何まで違う他人」に色々教えて、
自分と同じ人生を歩ませることは出来ないと思うからです。
言い方変えれば「洗脳なんてさせられない」というか。
そして何よりも、教える相手の為にならないと思います。
以下で詳しく書いてみます。
また、正確には「答えを」教えないが正解だと思っているのですが、
以下では、答えをという部分を省略している箇所もあります。
あと、まずは教えることによる弊害を書いて、
その後に、じゃあどうすれば良いのかを書いていきたいと思います。
1.教えるのは相手を自立させられなくする
相手の質問に対して答えを教えてしまったり、相手が出来なくて困っている事を全部代わりにやってしまうというのは、
自立させられなくするという意味で、愛情でも教育でもないと思います。
何故なら、これを相手にやって相手がどうなるかと言ったら。
「あの人は私が困っても全部助けてくれる。だから私は何もしなくても良いんだ」や、
「あの人は私の望みを全部叶えてくれる。きっと私に対して愛情があるんだ」みたいになり、
自分で何か考える事や、自分から何かをする事をしなくなる現象を多々見ています。
私自身も昔ありました。
全部周囲がやってくれるもんですから、自分からは何もやらなくなり、
結果として、自分の力だけでは出来なくなりました。
その周囲がやってくれた事の中には、今でも出来ないモノがあります。
つまり、自立というのは「自分の力だけで全てを行う」事ですが、
それをする力を奪ってしまっているわけです。
だから、教えてはいけないと思います。
2.教えるのは詐欺の一種
ここは少し角度を変えて考えてみましょう。勿論推奨はしませんが、仮に「相手を洗脳させて自分の奴隷にしたい」なら、
どういうやり方をするでしょうか。
まず、相手に暴力をふるうなどの相手が嫌がる事をすれば、
当然の事ながら相手は逃げてしまいます。
じゃあどうするかというと、「相手の望みを全部叶えてあげる」。
これを巧みにやれば、よっぽどの人じゃない限り、
「あの人は私の望みを全部叶えてくれるとても良い人だ」となりませんか。
で、これって上記1で書いた事と同じではないでしょうか。
「答えを教えてもらっている人」へ一言二言。
貴方は騙されている可能性があります。
自分では気付かない間に、奴隷にさせられている可能性があります。
奴隷になる対象が、親なのか上司なのか会社なのか国なのか何なのかは分かりませんが、
どれでも同じです。
一度、落ち着いて考えられてみてはいかがでしょうか。
また、「答えを相手に教えている人」へ一言二言。
貴方は騙している可能性があります。
自分ではその気が無くても、相手を奴隷にしようとしている可能性があります。
一度、自分の言動を、落ち着いて振り返ってみてはいかがでしょうか。
ということで、教えるのにはそういった側面もあると思います。
3.教えてくれた相手がいなくなったり死んだらどうするのか
「諸行無常」です。「ずっと同じ」はありません。時の経過と共に、出会いも別れもあります。
生死・引越し・転職・現場の変更などと共に、出会いと別れが発生します。
「私の望みを全部叶えてくれるあの人がいないと私は生きていけない」という人は、
別れの後は一体どうすれば良いのでしょうか。
子供なら、何処かのタイミングで社会に出て自立していくものですが、
全部親がやってしまったら、子供はいつまで経っても親離れは出来ませんし、
親が死んだらどうすれば良いのでしょうか。
自立するというのは、孤独になるという側面もありますが。
夫婦であろうがどんな関係であろうが、「一人の時間」というのは必ずあって、
その状態に我慢出来なければ、生きていく事など出来ないと思います。
だから、教えないで「一人で考える時間」を作らさせて、
その状態に慣れさせることが必要だと思います。
4.教えると本人に自信が付いていかない
自信って、自分の力だけで出来た時に付いていくもんじゃないですかね。「一人で着替えが出来るようになった」、
「一人で引越しの手配から完了まで出来るようになった」、
「一人でバグの解消が出来るようになった」などなど。
でも、それらを全て教える側がやってしまったり、答えを教えてしまっては、
教えられる側の自信が付かないし、
自信が付かないと積極的に挑戦しようとも思わなくなるのではないでしょうか。
全く出来る自信が無いのに、挑戦する人っていませんよね。
だから、自信を持ってもらう為にも、
教えたり、やってあげてはいけないと思います。
5.教えられるのに慣れてしまうと責任感が無くなる
答えを相手が出してしまったり、全部相手が助けてしまったら、それらに対する責任は、相手にあると判断されやすくなってしまうと思います。
で、そんな状態が続いてしまうと、責任感や当事者意識が薄れ、
「やったのは私じゃありません」
「悪いのは私じゃありません」
みたくなっていき、今度は教えた相手を攻撃するようになっていくのではないでしょうか。
結果として、モンスターペアレントの誕生に繋がると思います。
まだ他にもあると思いますが、ここまでが「教える事による弊害」です。
ここからは「どう教えれば良いのか」についてです。
まず先に、教える側に必要な条件について書いておきます。
教える側には、教える分野について「やり方を知っている」程度ではなく、
「やり方を知っていて且つ、そのやり方の是非を言える」程度の能力は最低でも必要だと思います。
答えを教えたりやってあげたりしてハイ終わりではなく、
可能な限り相手が理解出来る様な用語で「口で」説明出来る。
それをしなければ出来なければ、
教えられる側はいつまで経っても、自分の力だけで出来る様にはならないと思います。
では、本題です。
6.教えられる側が主役
まず、教えられる側の話を聞くことです。「貴方はどう思うのですか?」
「貴方はどうしたいのですか?」
みたく、主語は「私ではなく貴方」です。
だって「貴方の人生」ですから、他人に代替は出来ません。
で、その中できっと、「その要求には応えられない」というのが出てくると思うんですね。
例えば「人を殺したい」とか。
で、そういう要求には「ダメ」と言って、
どうしてダメなのかを教えていく。
でも、それ以外の要求には応えてあげた方が良いと思います。
「やりたい」って気持ちは尊重しましょう。
ちなみに余談。
もし、「何も思ってないし、どうしたいっていうのもない」って言われた場合には。
「じゃあ、今やっている事(仕事に限らず遊びも全部)に対して真剣に取り組みましょう」と言えばよいと思います。
目標とかがない相手には、多分これしかないんじゃないでしょうか。
で、真剣にやっていく中で、やりたい事って見つかるんじゃないでしょうか。
7.答えではなく「ヒント」を教える
ヒントすら教えないだと、問題が解決しません。一方で、答えを教えてしまうと、上記の通りになってしまいます。
ポイントなのは、本人に「自分の頭で考えさせる事」だと思います。
で、ここで教える側がやってしまいがちなのは。
教えられる相手が、何かを口に出したりする「前」に、
口走ったり、やってあげてしまう事。
何と言うのかを、何をするのかを、まず観察するのが大切です。
それをしなければ、どのくらい理解しているのかが分かりません。
で、それが分からなければ、どのくらいのレベルの内容を教えていけば良いか分かりません。
なので、シンドイかもしれませんが、ここはグッと我慢しましょう。
下記の参考リンクにもありますけど、
「魚を与えるのではなく魚の釣り方を教えよ」
がベストだと思いますね。
というか答えって、
自分と他人では何もかも違う以上、人によって全然違いまして。
正論でも、相手に受け入れられるとは限りませんし、
答えが分からずに悩んでいるのであれば、何も考えていないわけではないと思いますし。
教える側のやり方が、教えられる側にも馴染むとは限らないと思います。
だから、教える側は「私はこう思う」ぐらいしか言えないのではないでしょうか。
結局答えは、「本人にしか」見つけられないのではないかと思います。
8.一気にではなく少しずつ
7でも若干書きましたが。赤ちゃんからの成長を見ての通り、人間は一気に成長することは出来ません。
なので教えられる相手が、今どのレベルにいるのかを知るのは大切です。
赤ちゃんに、大人と同じ様に会話をしろと言うのは無理ですし、
プログラムのプも知らない人間に、
セキュリティ対策もクラスの切り方もちゃんと考えた作りにしろというのは無理です。
言われてみれば当たり前の事ですが、結構意識が抜けるポイントだと思います。
9.出来たら褒める、そしてどんどん権限を委譲していく
誰でもそうだと思うんですけど、人間ってやっぱり褒められたら喜ぶものだと思います。「よくやったね、頑張りました」
「貴方だってやれば出来るじゃない」
などと言ってあげて、まず「今の相手を認める」事が必要だと思います。
そしてその上で、更にレベルの高い事を任せてあげる。
また、上記どちらも十分条件ではなく、必要条件だと思います。
相手を認めずにどんどん難しい事をやらせるのは、相手の事を想ってないですし、
相手を認めてもどんどん難しい事をやらせないのは、単なる自己保身です。
私が最近聞いた話ですと、営業の人間が、
「技術者としてだけではなく営業的な役割も」と言っておきながら、
実際に技術者が案件情報を持ち込むと、
「どうして案件情報の提供者が、直接私に言わないのか」とか難癖付けて、
却下したケースもあったみたいですよ。
これは単なる、営業の人間の自己保身だと思います。
だから、権限とか役割もどんどん教えられる側に渡さなければいけません。
というかそれを行う方が、教える側のやる事が減って、良いと思うんですけどね(笑)
10.責任は責任、けじめはちゃんとつける
9は出来た場合ですが、では出来なかった場合にはどうするかです。「悪いのは誰だ」とか「出来なかったのは誰の責任だ」みたいな話って、
私が知っている限り、多くの場合において、
「自分も含めて誰も悪くない」か「自分も含めてみんな悪い」
だと思うんですよね。
例えば、教える側が教えられる側の現状のレベルを見誤って。
結果、教えられる側が出来なかった場合。
レベルを見誤った教える側にも責任はあると思いますし、
教えられる側が「それは出来ない」と言わなかったのにも責任はあると思います。
あと、やる内容とレベルを考慮した時間の見積もりが原因だったというのも同じですね。
仕事だと締め切りがあるので、こっちですかね。
だから、親と子でも上司と部下でも、勿論それ以外の関係でも、
「どちらも責任を取る」で良いのではないでしょうか。
そうしなければ、上記にも書いた責任感というのが、
教える側にも教えられる側にも出てこないと思いますし。
11.「見捨てる」という行動について
出来の悪い子供や部下に対して、「もう私は貴方の事には一切関与しない」とか、
「もう二度と私の前に現れないで下さい」とかって、
教える側が思う時ってあると思うんですけど。
でも、教える側の人間は、「本当に」それを実践出来ますか?
教えられる側が、また目の前に現れて、それをちゃんと拒絶出来ますか?
ちなみに、コレをやると私が知る限りでは。
子供や部下は、今度は「他の」人を頼るようになります。
でも、他の人にとっては、ぶっちゃけ「他人事」です。
「相手の事を想って答えを教えない」とかは、
絶対にとは言いませんが、殆ど期待出来ないと思います。
そうしたら、上記に書いた様に「更に」ダメになっていくんですね。
で、教えられる人間がそうなっても良いって「覚悟」、教える貴方にはあるでしょうか?
「ある」ならそれでも良いです。
でも、上記の言葉の背景に「教えるのから逃げたい」とかがあるなら。
逃げたって、因果応報の如く、また貴方に害を与えにくるだけだと思います。
それも多分、「以前よりも酷くなって」。
だから私は、教える人間の中で、この人は見捨てられないと思った相手には。
やっぱり答えは「教えない」けど、でも「見捨てても逃げてもいけない」と思います。
別の言葉で書くなら、保護はするけど「過」保護はしない、でも逃げないというか。
最後に、かなり偉そうに書きますが。
正直、現在の日本では、モンスターペアレントの「子供や孫に対する過保護」ぶりや、
いわゆる教えて君の、「答えを教えてくれるのは当然」みたいな考えが浸透している印象があります。
私自身もそうですが、本記事を読まれた方の一人でも多くの人が、
この手法から何かを掴み「自分の答え」を見つけて、広めていって欲しいと願っています。
と言いつつも、ここまで読まれた方は、既に答えを見つけて実践している様な気もするんですけどね(苦笑)
参考:
教えるな!―できる子に育てる5つの極意
http://www.amazon.co.jp/dp/4140883510
コーチング―言葉と信念の魔術
http://www.amazon.co.jp/dp/4478720215
悪いのは私じゃない症候群
http://www.amazon.co.jp/dp/4584122393
寄るべきは 相手じゃなくて 己が腕
http://d.hatena.ne.jp/gallu/20090225/p1
魚を与えるのではなく魚の釣り方を教えよ
http://winxwincollabo.livedoor.biz/archives/50961982.html
「答えを教える」コンサルテーションから、「答えを見つけるのを手伝う」コーチングへ
http://blogs.itmedia.co.jp/mm21/2011/09/post-94ee.html
インターネットで中傷され続けた10年 スマイリーキクチさん
http://www.jinken.ne.jp/flat_now/kurashi/2011/11/25/1335.html