「ゆとり世代」とか、最近良く聞きますが、
別にその世代に限らず、教育において意識したい話です。
モノが豊かな時代に生まれ、親や周囲に色々なモノを与えてもらったり、
自分の事を否定されるのに慣れていなかったり、
ネットの質問系サイトで、みんなに教えてもらったりしていると。
その人は、与えてもらって、教えてもらって、肯定されて「当然」と、
思うようになるのかもしれません。
そして、そんな状況の所に、
「私は教えないし、何も与えない」、
「それは間違っている」と言う人が現れたとしても。
今まで一度もそんな事をされたことが無い側からすれば、
「アンタ何なの?」って気持ちに、あるいはなるのかもしれません。
人間というものは、「生存本能」を持っていると思います。
自殺する程まで追い込まれている場合には、持っていないかもしれませんが、
仮に、無人島に突然放り込まれても、
「知恵」を働かせて、何とか生きようとする人が多いと思います。
そして、その生存本能を利用すると言っては変ですが。
教育というと、「教えなければいけない」となってしまうと思いますが、
「教えない」且つ、「与えない」が良いと思います。
少なくても、こちら「から」は。
まあ、ビジネスで、期限がある場合には、教える必要が出てくる時もあると思いますが。
次に、でも「それは間違っている」は言った方が良いと思います。
間違っているモノは間違っているのですから。
というか、これをしないと、いわゆる「半可通」が生まれると思います。
また、アレをやって下さいとか、コレを見て下さいとかも、
ここは難しい所な気がしますが、
「あまり」やらない方が良いと思います。
緊急&重要度が高い時が例外でしょうか。
ただし、「相手に何もしない」というのは、
別に、「無関心」になるという意味ではありません。
「何も言わずに」、「言動を観察」してはいましょう。
そして、「以前と違う状態(満たされていた状態では無くなった)」になれば、
「飢餓状態」になって、自分「から」何とかしようとするはずです。
ただし、下手すると自殺してしまうかもしれないので、
本当にマズそうな場合には、手を差し伸べましょう。
最後に、今回の記事だと少々抽象的なので、
このテーマについては、いつか改めて触れたいと考えています。