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奇特なブログ

「殊勝に値する行いや心掛け」を意味する、奇特な人になる為のブログです

スキル格差が生む「歪み」をどう埋めれば良いのか

えっと、この記事は別に、ダメって目くじら立てる程でもないんですけど、
でも、好ましくはないよねぇって感じの話です。
まず、元ネタは以下です。

http://twitter.com/gallu/status/231701590262829057
http://twitter.com/gallu/status/233450920199991296

端的に、「作業スピードが早い事が、時給換算だとデメリットになる」って話だと思います。
発注者が「時給3,000円で8時間で24,000円支払えば終わるだろう」という想定のはずが、
受注者が「2時間で終わったので6,000円頂きます」みたいな。
いや、もちろん受注者の側で、
「本当は2時間で終わったけど、最大で8時間までOKって言ってるから、請求は8時間で」っていうのも、
出来るだろうとは思いますが、まぁ品性的にどうかと。
あと、発注者からすれば「24,000円かかると思ったけど6,000円で済んでラッキー」と思うかもしれませんが、
再び発生した同じ様な作業を、「別の」受注者に依頼したら、
「以前、別の受注者に依頼したら2時間で出来たのに、どうして2時間で出来ないんだ」
となる可能性が十分にあり、そうなったらその受注者は悲惨です orz
以前の受注者と同じスピードを求められてもねぇって感じでしょうと。
一応、時給換算にもこんなメリットがある様なのですが、
別に「実験的にプロジェクトを推進」というのは、
例えば、「作業Aに対してはおいくら」とすれば、時給じゃなくても問題ないと思いますし、
追加見積もりについても、「このぐらいの追加作業ならおいくら」とすれば、問題ないと思うんですよね。
これらから、時給はおそらく「細かく見積もるのが面倒」な時には有用なのかなぁと思います。

で、この話って正直、色々な問題点を孕んでいると思うんですよね。
「金額を見積もる事の難しさ(想定支払金額と結果支払金額に大きな差異があるわけですから)」だったり、
「時給換算(委任の時間換算と同じだと思います)は、
高スキル者には不適切(請負なら問題ないと思います)」だったり、
「作業を振れない受注者の苦悩(可能性としてゼロではないでしょう)」だったりと。
まぁ、他にもありそうですけども。
で、今回は「適材適所」という部分について、触れてみます。

まず、実は上記の「時給3,000円で8時間で24,000円支払えば終わるだろう」という見積りが、
一般(どのぐらいが一般なのかは置いといて)技術者基準では「正しい」としましょう。
であるならば、この作業を一般技術者が行った場合には、
「見積り通り」で何もなく終わるわけですね。
そして、再び同じ様な作業を発注する際にも、
「以前、別の受注者に依頼したら2時間で出来たのに、どうして2時間で出来ないんだ」とはならずに、
「時給3,000円で8時間で24,000円支払えば終わるだろう」となるのではないでしょうかね。
これなら「適材適所」だとは思うんです。
でも、上記のケースはそうじゃないですよね。
「別に、想定より早く終わりそうな作業を、受注者が請けなければ良いのでは?」となるかもしれませんが、
やってみなければ分からない部分もあるかもしれませんし、
そうじゃなかったとしても、その受注者が断ったからといって、他の受注者が請けるとは限りません。
でも、発注者は仕事を完成させたいから依頼しているわけですよね。
請ける人がいなかったら、発注者は困るかもしれませんし、
いわゆる「機会損失」になってしまうのではないでしょうか。
そして、こういった事が多発すれば、
下手すると「産業(もう少し狭い範囲だと「組織」とか)の衰退」につながっていくのではないでしょうか。
「仕事を依頼したいけど、請けてくれる人がいない」から。

比較優位」という考え方があります。
ココが分かりやすいと思いますけど、
「どんな(多分余程酷い人でなければ?)人でも、何らかの貢献は出来る」って意味ですね。
で、貢献の形って色々有るとは思いますけど、例えばココの「@access」の横は、
クラスやメソッドや変数に付いているアクセス修飾子と「必ず同じ」になるんですね。
まぁ、これぐらい単純な作業なら自動化すれば(今回しませんでしたので今後検討って事で)って気もしますけども、
でも、「殆どの人が出来る作業」ですよね。
あと、ちょっと面白い話で「赤ちゃんは泣くのが仕事」という話を、先日耳に挟みまして。
つまり、人間というのは「その時その時で役割が変わる」って事だと思うんです。
まぁ、「成長に応じて」って事でしょうね。

また、「全体最適」と「部分(局所とも言いますね)最適」って考え方もありますね。
上記の「2時間で終わったので云々」の箇所って、
その受注者的には最適(部分最適)だと思うんですけども、
全体(産業だったり組織だったり)としては、最適ではないと思うんですよね。

さて、「じゃあどうすれば良いの?」って辺りをそろそろ。
まず、今現在の状況として、
スキルアップの環境」ってかなり整ってきていると思っています。
大量の情報が掲載されているネットしかり、
色々な分野をテーマに開催されている勉強会やイベントやセミナーしかり、
一つのジャンルでも殆どが複数発売されている書籍しかり、
また、これはオマケの様なものですけど、ウチが開催しているソーシャルラーニング勉強会しかり、
あとは、これは昔からそうで「王道」だと思いますけど、職場や現場でのスキルアップしかり。
で、環境が整えば整う程、「スキル格差」が顕著になると思うんですね。
だって、「学ぶ手段」が沢山あるのですから。
そして、結果として、学んでスキルアップした人間にはどんどん仕事が依頼され、
学ばずにいた人間にはどんどん仕事が依頼されなくなってしまいます。
まぁ、短期的には上記の様にならないケースも多いでしょうけども、
長期的には色々見ている限り何だかんだ上記の様になっていると感じます。
で、そういった状況で、
スキル的に「教える側」の人間が教えないというのは、
上記の「2時間で終わったので云々」の解消にもならないでしょうし、
「それは、スキルを継承させようとしないアンタが悪いよねぇ」だと思います。
一方で、じゃあ仮に教える側がちゃんとやっていた(というか上記の環境整備の話もあるので微妙なんですけど)とした場合。
教育を受けて学んでも、それを自分の人生で活かさなければ意味はないと思うんですね。
で、別に仕事が無いわけじゃないと思うんです。
というか、溢れていると思います。
今がもう、一杯一杯であれば、それはもう仕方無いのかなとは思います。
でも、少しでも余裕があるのなら、
「自分がやった方が適材適所で比較優位だと思うから、この仕事は自分がやる」
方が、多分経済的には良いんでしょうね。
勿論、自分的にもきっと良いと思うんですけども。
で、そういった好循環になってくれば、
高スキルの人間は高スキルの仕事をしながら更に成長していき、
低スキルの人間は低スキルの仕事をしながら成長していき、となるのではと思います。

あと、「スキル的に教える側が教えない」や、
「スキル的に教わる側が教わらない」については。
物凄くストレートに書いちゃいますと、
「実利が欲しいのか、プライドを守りたいのか」
じゃないかなぁと思います。
とりあえずウチ的には、「イイ女性をゲットしたい」という「実利」が欲しいなぁと(笑)

しっかしコレ、ウチは今仕事をしていない状態なんですけど、
大局的に見れば、コレも一種の「機会損失」ですねぇ(苦笑)
で、締めたいと思います。