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奇特なブログ

「殊勝に値する行いや心掛け」を意味する、奇特な人になる為のブログです

道を辿れば見えてくる先人の思い

滝打ち6日目。

さて、教育(というか学ぶ事)において、「守破離」という言葉がよく?出てくる昨今ですけど、
「守」をしている途中で見えてくるのが、「先人の思い」だと思います。
最初は、「どうしてこの本を薦めるのだろう」とか、
「どうしてこういうプログラムの書き方をするんだろう」とか、
「どうしてこれはやってはいけないと言うんだろう」とか、
「どうしてこれを重要視するんだろう」とか、
よく分からないことばかりだと思います。
少なくとも、自分はそうでした。

で、そんな時に、
分からないことに対して、いつまでも「どうして」「どうして」と考える事が、
別に悪いことだとは思わないのですけど、
でも、「分からないものは"幾ら考えても"分からない」ものだと思います。
そうなると、まずは「分からないけど"ちゃんと考えれば"分かりそう」なものから、手をつけていくしかないと思うんですね。
そういった、「良い意味での潔さ」も必要だと思います。

珍しく言い切っちゃいますけど、大丈夫です。
今は分からないことでも、
師匠(先人でも良いかな)が歩いた道を、
ただひたすらになぞる様に歩いていけば、
「ああ、だからこの本を推奨していたのか」とか、
「だから、このプログラムの書き方はするなと言っていたのか」とか、
そういった「以前は見えてこなかったこと」が、「見えてくるようになって」きます。

師匠選びさえ間違えなければ、
実の所、「学び方」というのは、「意外とシンプル」なんじゃないでしょうか。

ただ、「等身大の自分」になれないと、
「守をすること」に抵抗感を抱いたりするんじゃないかなぁと。
「そんなものは、役に立たないから学ぶ必要はない」とか、
「自分は既に、そんなこと知っている」とか。
でも、ずっとそれでは、「いつまでも進歩はない」のではと思います。
で、永遠に勘違いとか、し続けるんでしょうね。