奇特なブログ

「殊勝に値する行いや心掛け」を意味する、奇特な人になる為のブログです

飢餓状態を作り出して自主性を与える

ゆとり世代」とか、最近良く聞きますが、
別にその世代に限らず、教育において意識したい話です。

モノが豊かな時代に生まれ、親や周囲に色々なモノを与えてもらったり、
自分の事を否定されるのに慣れていなかったり、
ネットの質問系サイトで、みんなに教えてもらったりしていると。
その人は、与えてもらって、教えてもらって、肯定されて「当然」と、
思うようになるのかもしれません。

そして、そんな状況の所に、
「私は教えないし、何も与えない」、
「それは間違っている」と言う人が現れたとしても。
今まで一度もそんな事をされたことが無い側からすれば、
「アンタ何なの?」って気持ちに、あるいはなるのかもしれません。

人間というものは、「生存本能」を持っていると思います。
自殺する程まで追い込まれている場合には、持っていないかもしれませんが、
仮に、無人島に突然放り込まれても、
「知恵」を働かせて、何とか生きようとする人が多いと思います。
そして、その生存本能を利用すると言っては変ですが。

教育というと、「教えなければいけない」となってしまうと思いますが、
「教えない」且つ、「与えない」が良いと思います。
少なくても、こちら「から」は。
まあ、ビジネスで、期限がある場合には、教える必要が出てくる時もあると思いますが。
次に、でも「それは間違っている」は言った方が良いと思います。
間違っているモノは間違っているのですから。
というか、これをしないと、いわゆる「半可通」が生まれると思います。
また、アレをやって下さいとか、コレを見て下さいとかも、
ここは難しい所な気がしますが、
「あまり」やらない方が良いと思います。
緊急&重要度が高い時が例外でしょうか。

ただし、「相手に何もしない」というのは、
別に、「無関心」になるという意味ではありません。
「何も言わずに」、「言動を観察」してはいましょう。
そして、「以前と違う状態(満たされていた状態では無くなった)」になれば、
「飢餓状態」になって、自分「から」何とかしようとするはずです。
ただし、下手すると自殺してしまうかもしれないので、
本当にマズそうな場合には、手を差し伸べましょう。

最後に、今回の記事だと少々抽象的なので、
このテーマについては、いつか改めて触れたいと考えています。

参考:
教えるな!―できる子に育てる5つの極意
能力を発揮することば 「決して無理をしないで」