奇特なブログ

「殊勝に値する行いや心掛け」を意味する、奇特な人になる為のブログです

好意的に解釈しようと思えばいくらでも出来るけど・・・

今回は、以下の記事に対する感想を中心とした内容です。
あと、下記の記事が言いたい事を、筆者が誤解している可能性が、今回は「特に高い」ので、
その際にはご了承頂ければと思います。

バランスの取り方
http://d.hatena.ne.jp/gallu/20110803/p2

極端な場所にいると、どうしても「逆側に極端になる」ことで、全体のバランスを取っている
取っていると思いますっていうか、これは皆そうだと思うんですがね。
で、バランスの取り方には2パターンあると思うんですが。

パターン1は、「絶対的ではなく、相対的に見る事でバランスを取っている」です。
例えば、コミュニケーションしたいっていう気持ちや姿勢(コミュニケーションマインドと筆者は命名しています)が、「皆無」や「限りなく無い」人々ばかりを相手にしていると。
「少し」有りそうや、「まあまあ」有りそうぐらいの人でも、
「凄く」有る「様に見える」と思います。
でも、それはあくまでも、「相対的」な評価であって、「絶対的」な評価ではないと思うんですね。
ただ、それでも、相対的に見る事(ここでバランスを取っている)によって、
「ああ、凄く有る(実際にはそれ程無くても)人も居るんだな」と、自分の中で解釈しているわけです。
これが、まず一つ。

パターン2は、「好意的に解釈する事で、相手を嫌いにならない様に工夫する」です。
こっちも例をコミュニケーションにします(セキュリティとかでも面白そうですが)が。
例えば、「質問や意見や反論が一切(もしくは全然)ないけど、どのくらい認識出来ているのだろうか?」とか。
で、これは、筆者の経験則で、根拠はないのですが。
ある事への認識や理解を「深める」には、会話(質問や意見などを述べる)が必須だと思っています。
なので、別に「常にフィードバックを」っていう程、厳密なモノだとは思ってませんが、
そうはいっても、何もフィードバックが無いと、やはり「大丈夫なのだろうか?」と思うわけです。
で、ここでまた「バランスを取る」が発動して、
「きっと」認識している「はず」、分かってくれている「はず」などと解釈して、
バランスを取っているのです。
勿論、思っていた「よりは」認識出来ているケースもあります(つい先日有りました)。
でも、実際にはどうでしょうね。勿論他人には分からない事ですが。
で、この辺がトラバ元でいう、

「あらゆる可能性」だけを盾に虹色に八方美人な対応したって意味はない
って、辺りと推測します。

じゃあ、ここで、パターン1も2もですが。

「ある瞬間の時間軸」、より厳密には「その時間軸にあなたが存在しているlocation、経験、周囲その他」を前提に「とりあえず仮決め」としての正しさは、あるいはあるんじゃなかろうか、と思うです。
「とりあえず仮決め」って辺りがポイントだと思うんですが。
パターン1だと、「本当はあるのかもしれないけど」、あの人にはコミュニケーションマインドが無いと「仮決め」したり。
パターン2だと、「理解しているかもしれないけど」、あの人はきっと理解していないはずと「仮決め」したりするもんだと思います。
というか、仮決めしないと、プログラムでいうと無限ループになるんですけど。

でも、仮決めは所詮「仮」であって。
今後の展開次第で、「その判断はやはり正しかった」ってなるか、
「いや、それは貴方の判断が誤っていた」って、どっちにも転ぶと思います。
あるいは、「1年前のあの人に対しては正しかったが、今のあの人に対しては誤っている。なぜなら、あの人は成長したから」ってケースもあると思います。

では、そろそろ終わりにしますが。
諸行無常」の通りなんですけど。
例えば、「縁切り」が発生したとしましょう。
で、例えば1年後に、どっちからともなく「縁を戻したい」って話になったとしましょう。
で、その時に、どうして縁切りという結末になったのかって辺りや、
「縁を戻したい」って言ってきた時の、「お互いの態度」辺りにも因ると思いますが。
基本的には、縁を「戻してあげて」下さい。
1年前と今は「違う」んですから。
勿論、何も変わっていないという可能性もありますが、
それは、多少はやり取りしてみなければ、分からないと思うので。
また、上記にもある通り、
相手の「縁切り」が、「とりあえず仮決め」の可能性もあります。
ですので、「縁を切られた!」とあまりムキにならずに(負の感情を持ち続けずに)、
「柔軟に」受け入れれば良いのではないかと思います。

で、締めたいんですが、
実際には、「過去に囚われたり、過去を引きずったりする」ケースがやっぱり多いんですかねぇ?